神の光に照らされている者 (1ヨハネ1:5−7)

「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にま すます豊かにされますように。」(2ペテロ1:2) アーメン。

ここで、使徒ヨハネを通して不思議なことが書かれています。何かと申し上げますと、二つの領域があり、光があって、闇もあるということです。しかも、ある人は光の中を歩んでおり、またある人は闇の中を歩んでいるということも記されているのです。これはいったいどういうことでしょうか。ここに書かれている「光」というのは神様ご自身のことです。神が光の中におられ、しかも、光そのものだとあります。それでは、「闇」はどういうことかと言いますと、やはり「光のない」つまり「神様のいない」領域です。「神様のいない」といえども、全能の神様がいらっしゃらないところはどこにもない、ということはいうまでもありません。が、「神様のいない」というのは、神様に創造された者が神を知らないで、神と関係なしに生きている、ということです。そういった人間は、神の御心を知らずに、神の導きを求めずに、ただ自分の理性や力によって生きていこうとしているのです。これこそ「闇」です。なぜなら、神様はまことの光ですから、神様との関係がない者は闇の中を歩んでいくしかないからであります。

しかし御言葉によりますと、光の中を歩んでいる人もいます。どうして光の道を歩むことができるのでしょうか。それは、みんなにほめられるような、光輝いているスターとか、立派な人間になるように、一所懸命頑張っていたからでしょうか。いいえ、違います。というのは、ここに書かれている「光」は人間から出るようなものではなく、人間的な力によるものでもないのです。光の中を歩んでいることは、光であられる神様との関係があり、主にあって歩んでいくことです。この光は御子イエス・キリストご自身です。主イエス様を信じて、洗礼と信仰によって主に結びつけられている者は、主にある全てのことの持ち主となります。主の光もその中の一つです。以前は、その人も暗闇の中を歩んでいたのですが、主にあって、その人も命の光を持つようになりました。他の言葉で言いますと、以前は、その人は罪の中にいましたが、今は、その人の罪は全部、キリストの尊い血によって贖われ、罪の汚れが清められ、洗礼によってキリストの清さがその人の身に着られているのです (ガラテヤ 3:27)。

残念ながら、「光の中を歩んでいる」と言われる人の中には、実は、闇の中を歩んでいる人もいます。なぜなら、洗礼を受けて主に結び付けられても、なんらかの事情で信仰を失って、実際には、光であられる主に結ばれているままで歩みたいと思わなくなってしまうこともあるからです。あなたは、いかがでしょうか。ただ自分の理性、或いは、自分の宗教的な行為に頼って、救い主キリストなしに歩んでいるでしょうか。または、今日もイエス様の十字架と復活による罪の赦しを信じて、光の中を歩んでいるでしょうか。

そして、主にあって光の中を歩んでいるかどうかというのは、ただ私たちクリス チャンの個人的な信仰生活に関係することだけではありません。他のクリスチャン との生活、人間関係、教会での共同生活にも関係があるのです。なぜならば、主にあって、あなたと他のクリスチャンはみんな同じように一人の主の一つの光に照らされ、この光によって一つとなっているからです。

例えばですが、ヘルシンキ大学の図書館では、歴史のある興味深い神学の本が地下二階の大きな部屋に置いてあります。地下ですから、窓はありません。もし私たちは今、そういう窓のない部屋に入って、ドアを閉めて、電気を消したら、どうなるでしょうか。もちろん、真っ暗になりますが、その闇の中では、すぐとなりにある人も見えなくなってしまうでしょう。なんか不気味でぞっとするでしょうね。ところが、電気をつければ、周りのみんなの顔もまた見えるでしょう。同じように、主の光の中を歩んでいない人は、暗闇の中にいますから、深く考えれば他の人との本当の関係がなくて、孤独で、いくらこの世の中で友達がいても、キリストにある兄弟姉妹はいないのです。一方では、洗礼と信仰によって、イエス様の聖なる体である教会に結び付けられて、主の光の中にある人は、主にある他の信徒にも結び付けられて、他のクリスチャンとの関係があります。まるで、電気が点いて、いや、太陽の光に照らされるかのように、隣人もはっきりと見えるのです。一つの光に照らされて、みんな一つとなるのです。こうして、神の光の中を歩んでいるというのは、神様と交わりがあって、そして主にあるからこそ、他の信者とも交わりがある、ということなのです。

しかし、これはどのように実現するでしょうか。それもこの箇所に書かれていま す。「これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。」 とありますね。(1ヨハネ1:5) イエス様の使徒たちは、主に聞いた御言葉を聖書に書きましたね。なので、聖書の教えや説教を聞く私たちも教会で、この福音を聞くことができました。この福音は何かと言いますと、あなたと私の罪は、そして、全世界の全ての罪は赦されている、ということです。イエス様には罪の赦し、命の光があります。今日も、キリスト様は御言葉によって、人が歩んでいる闇の中に、ご自分の光を与えようとしておられます。ですから、どうぞ、あなたも今日、十字架と復活の主イエス・キリストを信じて、主の光に歩んでください。そして、主にあって、御恵みに感謝して、喜んで、ありとあらゆる人に、この光溢れる赦しの福音を伝えてください。イエス様は、誰も闇の中を歩まないで、全ての人が主に赦されて、主の光の領域に移られ、光の中を歩むようになることを望んでおられるからであります。

祈り 

天のお父様、御子キリストによって私たちをも購ってくださり、新しい命の世継ぎとしてくださいました。心から感謝致します。私たちは今日も、そしていつも、あなたの御言葉の元で守られますように、また毎日の生活の中でも御言葉を足の灯火として受け入れることができますように、お助けください。御子キリスト・イエスの御名によってお祈り致します。アーメン。

(神戸ルーテル神学校 チャペル・タイム 2015年5月28日)

(Puhe on pidetty Koben luterilaisen teologisen seminaarin aamuhartaudessa, Japanissa 28.5.2015)

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